母の笑顔の大往生

笑顔の大往生


母は小学校の教師で、看護士の免許を持っていました。原爆が広島に投下された時には父が海軍兵学校の教官をしていた江田島の津久茂にいました。広島市内から続々と運び込まれた被爆者の手当てを小学校の体育館で率先してやったそうです。間接的な被爆もしたことでしょうが、大変氣丈な人でした。こうして90歳まで生きられたのも皆様のお陰ですと、常々申しておりました。

「和顔悦施」人様には笑顔で接しなさいと教えてくれました。そこから私の名前を和悦とつけてくれました。

これからも母の願いのように、人様に「元氣と笑顔」を与えられるような人生を送っていきます。

感謝です!

合掌!