青雲塾の思い出

 
 昭和45年から48年までの3年間、大学を出たばかりの新米の英語教師として、全国から集まった約70名の中学生の兄貴分として24時間同じ屋根の下で過ごしました。

この強烈な青雲塾の思いでは今も私の心の中から消えることはありません。

先月はその当時中学生だった塾生たちが約70名集まり、楽しいひと時を過ごしたばかりでした。

その時の部長先生であった岡田陽先生がお亡くなりになられました。学園80周年の記念式典が行なわれた11月26日の夜でした。

12月20日学園葬が行なわれました。謹んでお悔やみ申し上げます。


天国から「もう一度塾教育と英語祭をやろうよ!」という声が聞こえてくるようでした。

亡くなられる時先生は学園の80周年の記念式典が大成功だったとご子息から報告を受け、にっこりとうなずかれながら息を引き取られたそうです。

本葬ではお別れに来られた人たちの口々から先生の作詞された「ちさい花」が自然に出て、皆さんが涙を流しながら歌われたそうです。

葬儀の司会をされた井熊先生は私の大先輩で、月に一度、大和の温泉でお食事会をしているお仲間の一人です。