氣と教育

 今日もいろいろなことがありました。氣をやっていると毎日が楽しく生き生きとしています。団塊の世代、今年4月に還暦を迎えた私にとって、今ほど教育という仕事がこれほど尊く、楽しく充実したものと感じることがありませんでした。これもひとえに岡村隆二先生との出会があったからです。感謝します。

 さて、今日は仕事の仲間から感謝されました。彼は弓道の5段の有段者でした。数週間前に「氣って何?」と言われて、リラックスの仕方や、氣の出し方をご指導させていただいた方でした。部署は違う方でしたが、今日いきなり私を見つけて近寄って来られ「6段の昇段試験、氣を使ってリラックスして受けたら合格しました!」とおっしゃるのです。私もうれしくて「おめでとうございます!」と握手を交わしました。弓道で6段をすることは並み大抵いのことではないのだそうです。そのとき私は広場で帰宅する前の女子高生に氣の出し方を指導していました。彼女たちも10分で氣の出し方が理解でき、喜んでいたところでした。その子たちも「弓道6段すごいですね!」と喜んでくれました。氣を出すことを教えてくれる先生がいると言ううわさがチャットネットで広がり、生徒たちは私に会うたびに明日は私に教えてくださいね、と言って帰る子もいます。昨日のファゴット奏者のHさんも良い音が出るようになったと今日も喜んで練習していました。

 私は最近、身の回りで皆さんがこの氣の活用で良い結果を沢山出している人たちを見ると、なんだか嬉しくなり、また明日も誰かに教えてあげようという氣になるのです。もしかしたら、あのキリスト様も空海様も氣の達人ではなかったのかと思うこのごろです。今は口では言いませんが身の回りで、とにかく信じられないほどの良い結果が次々と起こるのです。本当に「氣」はすごいと思うこのごろです。しかもこれは誰にでも念ずれば出せるのです。私はキリストは深い祈りで氣を出したのだと思います。空海もまたしかりです。
 しかし、皆さん、この氣は宗教でも何でもありません。自分の力を信じて深く念ずれば人間は何事も出来るのです。中村天風先生は、「信念をもって生きれば必ず幸福になれる!」と言われてます。

 今、教育界ではこの信念を教えることの出来る指導者がどれだけいるでしょうか。今日悲しい話をする高校1年生の男子がいました。公立の小学校時代に暴力的な行為をある生徒から受けたのだそうです。そしたら、担任も、校長先生も、問題が明るみになるのを恐れてどちらも悪いからといって相手に謝らせることすらさせなかったそうです。自分の責任範囲で問題行動が明るみにならなければという保身が先行しているようです。これではますます、日本の教育は先行きが心配です。クラスの中でマイナスの言葉を使ったり、マイナスの行為をしたならば、プラスの言葉で言い直させ、プラスの行いでやり直させる、これが教師の一番大事な仕事です。今、これが出来ていないから、教育が荒廃しているのです。そのマイナスの氣を見抜けない教師、見ても見ないふりをしている教師、このような教師や校長がいる限り、マイナスの氣が広がるだけです。自分の保身、立身出世のみを考えている教師が多いのではないでしょうか。今こそ、教育にプラスの氣を広げなければいけません。

 私は生涯一平教師で、氣の伝道者に徹します。一平教師であることに感謝です。