教育とは?
たとえ色あせた写真でも、半世紀以上も前の写真でも、はるかなる友の顔は懐かしく輝いている
「教育とは卒業後の思い出にあり」
これは半世紀以上も前、私が小学校2年生の時のクラス写真です。
担任のノブ先生、みんないい笑顔ですね。ありがとうございました。
それにしても昭和29年ごろの私たち小学生は何と輝いていたことでしょうか!
下の右から3番目が私です。
♪野尻川 心の鏡 愛宕山 気高き理想
緑なる山懐に 集いて学ぶ道一つ 我らが母校 川口校
奥会津の雪国の山間部に育った我らの校歌、今でも堂々と歌うことが出来ます。
さて、62歳になった今、中学3年生の担任しています。子供達が中心になって卒業文集を作っています。一人一人が子供時代の写真を載せることになり、編集委員から栗田先生も子供の時の写真を出してくださいと言われたので、私も一枚載せてもらうことになりました。この写真は昭和28年4月小学1年生の入学の日に撮ったものです。上のスキーを持った写真は3年生の冬の写真です。
「教育とは卒業後の思い出にあり」と我が師小原國芳先生は言われました。
楽しい思い出を沢山作ってあげるのが教師の役割です。
今日は暖冬には珍しく東京にも雪が積もりました。町田は特に雪が多く10センチも積もりました。遊びたい生徒達は私に何と言ったと思いますか?私は嬉しくて思わず生徒と3時間も雪合戦をして遊びました。生徒達はこういいました。「先生、最近先生は耳が遠くなりましたね。誕生日に補聴器を買ってあげるから今日は雪合戦をしましょうよ!」子供時代に帰って一緒に遊びました。雪国育ちですからまだまだ子供達には負けませんでした。(笑い)
数日前の新聞で、ある精神科医が教師について、「親とは違う立場で人を支え、その後も一生にわたってその人を育て続けるという仕事は、幸せな仕事である」と書いていました。本当に幸せを感じる今日この頃です。
私の母親も教師でした。これは50年前の母の写真です。
母は広島に原爆が落とされた時、父が海軍兵学校の教官をしていた江田島にいました。津久茂の網元をされていた岩本群一様宅にお世話になっていたそうです。物凄い光があり、家の外を歩いていたおばあさんが悲鳴を出して倒れ、その後からただ事で無いという爆音がしたそうです。しばらくすると広島から舟でこぎ寄せる人が沢山見えました。教師をしていた母は、養護教諭の資格もあり、広島から次々と津久茂小学校の体育館に搬送される被爆者の方の看護を必死でしたそうです。夏休みで江田島から広島に遊びに出かけていた子供達3人の5人の家族が次々となくなる地獄のような場面を母は見たそうです。最後に父親が、後はよろしくと言って息を引き取られたそうです。おびただしい放射能を浴びた人々のお世話をした母も間接的な被爆者だったと思います。今年90才になりますが,頭はまだしっかりしていて百人一首などではデイケアや、色々な所で優勝したりしています。しかし、だいぶ足腰が弱ってきました。今年は63年ぶりに広島、江田島への旅に連れて行きたいと思います。
さて、その精神医は、先生の仕事は、その時点では結果が見えづらく、「あの先生、いい先生だったね、と後になって評価されるもの。その声は肝心な先生には伝えられません。それでも、先生の教えは誰かの心に生き続けている。」と結んでいました。
教育とは「卒業後の思い出にあり」教育とは点数を取らせる事だけではないはずです。目の前の結果だけを求めるのではないのです。
良寛和尚のように沢山生徒と遊ぶ時間を作れる教師でありたいと思います。子供達に人生って楽しいよ、ということを教えてあげたい。
子供達の中で今日こう言った生徒がいました「雪合戦、楽しかったぁ・・・今まで生きてきた中で5番目に入るくらい楽しかったぁ!」
今日も生かされていることに感謝です。