会津の侍

平成18年近年にない珍しく大雪の正月を迎えたと思ったら、15日に父が他界し、悲しい年となりました。

悲しみを救って支えてくれたのは犬のモエでした。

父は亡くなる前日まで元気で雪おろしをしていました。

父は弱音を見せませんでしたが奥会津の冬は厳しく大変だったと思います。

今までに一度も病院に通ったことが無く、背筋をぴんと伸ばして歩く、会津の侍でした。曲がったことが嫌いで、町役場の職員時代も、町議会議員時代も「ならのものはならぬ」を貫いた人でした。人前では一度も弱音を吐いたことが無りませんでした。ゲートボールが大好きで世界大会に出場した経験もあります。大好きだった晩酌を一日も欠かさず、前夜も母の酌で最後の酒、奥会津の銘酒「花泉」を「旨いなあ」と飲み干し、おもむろに杯を置いたそうです。その言葉を母は忘れられないといいます。亡くなる前夜私が大雪の心配で電話をすると、父は死を覚っていたかのように、しかしそれを覚られないように元気な声で「雪の心配は全くない。今日も雪をおろした。こんな雪は暗闇の中を敵の機銃掃射をよけながら軍艦で本土に帰ってきた時に比べれば取るに足らない。」と笑いながら「今までいろいろと有難うな。」と言ったのです。北島三郎の歌が大好きでカラオケでは良く「川」、「黙って男は川になる」という歌を歌っていました。海軍では大砲の指南役として才能を発揮し、戦艦陸奥を始め数々の軍艦で太平洋を行き来し、山本五十六から褒美を頂いたこともあるそうです。陸奥が瀬戸内海で自爆する前に戦艦を降り、昭和20年江田島海軍兵学校の教官として終戦を迎えました。最期まで海軍魂を貫き平成18年1月15日、朝風呂に入ったまま軽い脳溢血で昇天しました。享年89歳でした。

モエも父にはかわいがってもらっていました。

歌が好きだった父の供養も意識して尺八を吹いています。

お隣の庭のラベンダーに止まっていた蝶です。

平成18年も残りわずかとなりました。皆様にとって今年はどんな年でしたでしょうか。
来る年がすばらしい年になりますようにお祈りいたします。
今夜もスケートの真央ちゃんが大活躍をしていましたね。
若者たちがスポーツに夢中になって一生懸命に取り組んでいる姿は本当に感動します。
このようなすばらしい若者たちが明るい世界の未来を築いてくれるのです。
最後に今年横浜で行われた世界陸上を観客席から撮った二枚の写真を皆さんに送ります。


すべてのスポーツを愛する人々にエールを送ります。
平成19年がみなさまにとって明るいよい年でありますように。
侍のような気品のある生き方と死に方を見せてくれた父に感謝です。